鹿額S 高さ7㎝アクリルスタンド
- アクリルフィギュア - 70x70mm
ねんどろいどやこえだらいず、オビツなどの背景にぴったりな、勿論単独で飾っていただいても見応えのある洋風アクリルスタンドです。 高さ7㎝のSサイズはこえだらいずや小さなガチャガチャのフィギュアにぴったりなサイズ。5㎝のSSサイズがあるなら必要ないかなあとも思ったのですが、こえだらいず(6㎝)にはこちらの7㎝のほうがぴったりかもしれない、と思ったので並べることにしました。 印刷がどこまできれいに出ているのか興味はあります…、お手元に届いた方はぜひ!参考写真を気軽にツイッターにでも送ってください!@urahanabi 可能ならショップの参考写真に上げさせてください! 蓮光背を作ったところ、洋風のものも欲しい!!と友人たちに熱烈なアピールを頂いたので、じゃあ!とおだてられて木に登りました。 洋風なら、大好きなアール・ヌーヴォー風のものをと思い、久しぶりにミュッシャの画集を開き、ルネ・ラリックの作品集を開き、その愛してやまないテイストを参考にしながら書き上げました。 中央アーチの文字はラテン語で、「我思うゆえに我あり」と書かれています。 各種フィギュア、小物撮影の背景を主な使用目的として作成しましたが、単品でも飾っていただけるよう丁寧に製作いたしました。 このアイテムを使って、商用撮影をすることも自由です。特に許可、報告は必要ありません。 上部にピンバイスで穴を開ければ、ピアスなどを飾る台としても活用していただけるかもしれません。 自由な発想でお使いいただければ幸いです。 この商品はpixivFACTORYで作られた商品です。サンプル画像は完成イメージのため、実物と異なる場合があります。
発送予定日
- アクリルフィギュア - 70x70mm2024/05/17
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- アクリルフィギュア - 70x70mm2024/05/17
蒼鷺と燕と鹿と猫とチューリップ
■■■■■■■■■■■■■■■ 蒼鷺と、燕と、鹿と、猫と、チューリップの絵柄です。 今回は洋風なので主に国外における各象徴の意味を拾ってきました。 ……主に自分用覚書です。 ※素人がうろ覚えとネット検索で書いた記事です。そんな…噂もあるのね?程度の気楽さで読んでください。とんでもない間違いを描いている可能性もあります。どうかお気をつけて…。 ■■■■■■■■■■■■■■■ ■■■■■【蒼鷺】■■■■■ Heron(英)Grey Heron(羅) 美しい鳥ですよね…、烏、燕、蒼鷺が私の大好きな鳥の上位3位です。日本でもまだ良く見かける鳥であります。大型の鷺で、白と青灰色の大変美しい蒼鷺には様々な文化で意味を持つ存在として注目されてきました。 ネイティブアメリカンではブルーヘロンは復活を意味します。水から飛び立つ蒼鷺は、水そのもののような色を湛えた姿で離水することから、水の中から復活した魂、と捉えられているようです。 おそらく、川や湖で死んだ魂が、それも、漠然と復活したのではなく、もう一度「なにか」を成さなければという強い意志を持ったときに、蒼鷺として復活すると思われていたようです。 エジプトではベンヌという不死の霊鳥となっています。「立ち上がるもの」「鮮やかに舞い上がり、そして光り輝くもの」などの肩書を持ち、太陽とも結び付けられる聖鳥です。 蒼鷺に生まれ変わるための呪文を記した死者の書もある、とついこの間もネットで見かけました。 ヨーロッパでも、蒼鷺は高貴、孤高、といったイメージと結び付けられています。……出典が不明なのですが、鷺は嵐を予知する鳥とも言われ、嵐のときは雲の上を飛ぶと信じられていたとか。確かに、私は台風の多い場所に住んでいますが、台風の目に入ったとき、青空を飛んでいく白鷺になんとも言えぬ神性を感じました。 もっと詳しくは 「幻像のアオサギが飛ぶよ~日本人・西欧人と鷺~」 佐原 雄二 著2016 というとても興味深い本が出ているようです。私もチェックせねば…。 鷺は日本でも様々な図柄として用いられる瑞鳥です。ただ、日本では蒼鷺は、その独特な美しさから、年経た蒼鷺は猫又のように妖怪になると考えられていたようで、青い火を伴って「青鷺火」という妖怪になります。夜羽が光り、飛ぶようです。鷺の仲間は鳥にしては珍しく夜行性のものもおり、夜まれにけたたましく鳴いていますね。(ゴイサギとアオサギが夜行性が強いようで、よく鳴きます。)いわゆる怪鳥の声、と私達が認識しているあの夜間の「ギャーーーギャーー」という鳥の声は蒼鷺です。こう考えると妖怪化もやむ無しかもしれません。そこも含めて大好きな鳥です。 余談ですがヘロンというとロンワンズ(レナードカムホート)のヘロンシリーズが大好きです。ヘロンリングが特に好きで、バイト代を握りしめて買いに行ったのは良い思い出です…。興味のある人はぜひ見てみてくださいね。 ■■■■■【燕】■■■■■ Swallow(英)Hirondelle(仏)et hirundo(羅) 日本でもツバメは商売繁盛、軒下に燕が巣を作ると家が栄える、などと言われて愛されてきた鳥ですね。 あれは、ツバメが天敵の烏などから雛を守るために人間を利用しているわけですが、頻繁に人間が行き来する場所にしか巣を作らないことから、人が多い=繁栄に結びつくようです。 また日本ではツバメはよく雨とも結び付けられます。これは雨の前に群れ飛ぶ虫たちを捕食する姿がよく見られるせいでしょう。 さて、西欧でもツバメは大いに吉鳥として愛されてきました。 ツバメの絵柄で手紙を運ぶ絵をよく見ますね。良い知らせを運ぶ、と言う西洋の古くからの民間伝承です。 幸福な王子、という童話でも、ツバメは王子の手伝いをして、貧しい人々に宝石や金箔を運びます。これも、良い知らせを運ぶツバメの役割から選ばれたのでしょう。 ではなぜ、良い知らせを運ぶと信じられたのか。 どうやら、船乗りたちの伝承に端を発しているような気がします。 ツバメは船乗りたちにとって特別な鳥でした。 なぜなら陸から遠く離れた場所では見られない鳥だったからです。 ツバメを見たら、陸が近いと思え。 そりゃあ、良い知らせ、になりますよね。 頼りない航海図とコンパスで海を渡っていたかつての船乗りたちにとって、どんな地図より当てになる目印だったはずです。 なので、船乗りにはツバメのタトゥーを入れた者がとても多かったそうです。某ジャックスパロウも、スパロウ(雀)なのにスワロウ(燕)のタトゥを入れていたのはこういう訳があったのかもしれませんね。(まああれは、俳優本人のタトゥだったそうですが……というところで調べたら!なんと!映画ではジャックのツバメとジョニーのツバメは向きが反対だった…!ジョニーのツバメは帰ってくるツバメ。なのに、ジャックのツバメは飛び立っていくツバメ。…つまりジャックスパロウは、陸を捨てたという意味になっているようです…なんてこと…) 良い知らせ、故郷、帰郷、家族のもとに無事に帰る、自由、という様々な思いがツバメには込められてきました。 なので、おそらくこの意味を願いにする囚人たちにも人気の絵柄だそうです。 またツバメは天災から守ってくれる、とも。(出典わからず) 今回のツバメの絵は、そんなツバメの意味を愛したのでしょう、ルネ・ラリックのツバメを参考にしています。ラリックといえばツバメ!というくらい、彼は美しいツバメの意匠をたくさん残していますが、そのインスピレーションには実は、日本の浮世絵や金工が大いに影響していたそうですよ。 ラリックではツバメの意匠のものは「イロンデル」シリーズと呼ばれるようです。フランス語でツバメの意味だそうです。 ■■■■■【ヤドリギ】■■■■■ Mistletoe(英)Gui(仏) sumptis remediis vomentes(羅) そんなツバメには、これまた大好きなヤドリギを持たせました。手紙ではなく、ヤドリギ。 ヤドリギの下ではキスをしていい。は西欧の有名なクリスマスでの合言葉ですよね。 ヤドリギ。どきどきしますよね…、妖精の木です。 ヤドリギはその名の通り、他の木に寄生して育つ常緑樹で、これがまた落葉高木を好んで寄生するんですよ……。 真冬に、全て葉の落ちた高木に、青々と緑のヤドリギが、まるでボールのような球形の姿で輝いている姿は凄く不思議です。私もよく目にしますが、冬以外は目立たないヤドリギのあの冬の異容は、そりゃあ、妖精の植物と言われて当たり前…。 そしてやはりちょっと探さないと見つからない珍しさも手伝って、非常にスピリチュアルな存在として捉えられていたようです。 当然その姿から「不死、活力、再生」のシンボルです。 ケルトではオークに宿るヤドリギを特に高位として大事にしたようですね。 ■■■■■【鹿】■■■■■ Deer(英)Cerf(仏)et cervo(羅) 私は鹿が大好きです。鹿とカラスのものには目がありません。 なので、メインは鹿にしました。 鹿は日本では神仏の使いとして大事にされています。古事記の頃から、鹿は神の使い。さらに仏教に置いては、悟りを開いたブッダの説教を一番始めに聞いたのが鹿達でした。ここから、東大寺が有名な奈良では鹿を大事にしていると聞いたことがあります。 が、海外ではどうなのでしょう。 鹿は復活、力、権力、粗野、勝利、家族愛を意味するようです。 まず、鹿の角は毎年生え変わります。(私は実はおとなになるまで知りませんでした…)秋前、自然に角は落ち、秋にたっぷり餌を食べて角をまた生やし、春にはその角で愛を勝ち取るために戦うのですね。 ケルトでは鹿の角のある神、ケルヌンノスが多産、豊作、復活の象徴として信仰されています。 ギリシャでも鹿は狩猟の処女神、アルテミスのお供として有名です。 また中央アジアでは鹿は家族と連れ立った姿がよく見られることから、家族愛、家族の繁栄、多産を意味するとして刺繍の題材によく用いられ、牡鹿は特に力と権力、勝利の象徴にもなりました。 牡鹿同士が角で戦う姿が頻繁に見られたせいでしょう。 ゲーム・オブ・スローンズでは…(略) 鹿は世界中で狩猟の対象となってきた身近な動物です。人間は鹿を代々消費しながら、それゆえに、彼らの賢さ、強さ、美しさを存分に見てきました。毎年角という素晴らしい資材を与えてくれる存在でもあります。 それゆえ、王家の象徴としても度々用いられました。 (獅子と鹿と鷹は、紋章のスリートップでは) 果敢にして孤高、温和で家族を大事にし、自らの毛皮も角も肉も、全て人に与えてくれる存在。 鹿のこと、好きになってきたでしょう? ■■■■■【猫】■■■■■ cat(英)Chat(仏)cattus(羅) 猫です!!猫大好き!猫が居ない生活は私にはありえません。 NO CAT NO LIFEであります。 それはともかく、猫は日本では吉兆ですが、海外では魔女のお供として有名で、忌み嫌われる風潮もたしかにあります。 が、それは感染症と結び付けられてしまった近世のこと(実際には原因は猫ではなく鼠だったわけですが)で、元々は穀物を守る大事な獣として愛されてきました。 エジプトでは言うまでもなくあの有名な猫神、バステト神!がいますよね。多産、家庭を守る、という神様です。 北欧神話では愛と戦いの女神フレイヤが猫が牽く車に乗って現れます。 経典を守る仕事は勿論海外でも猫の担当ですから、各世界の寺院でも大事にされてきました。 シャム猫はタイでは王室、貴族、寺院などでのみ飼うことを許された猫でした(実はウィチアンマート「月のダイアモンド」などという呼び名もタイにはあるのですよ…) 猫王という経典を守る猫のお話は何処の国のものでしたっけ…。 ケルトでも猫は神秘の運び手。 ケット・シーは人語を喋り、独自の王政を持ち、非常に賢い妖精とされています。(某魔法使いの嫁でも…) また偉人たちが多く猫に名言を残していることも有名です。 かのレオナルド・ダ・ヴィンチも「猫って最高傑作だよね」と言っていますし、チャールズ・ディケンズは「猫の愛より偉大なギフトはないよね」って言ってるし、猫がいれば絵は要らないと言ったのは…… そんなわけで、猫です。 多産、性愛、家族愛、神秘、魔力、などの象徴と捉えられているのでしょうね。 ちなみにこの猫は、「ケルズの書」に出てくる猫の絵を参考にしています。 ■■■■■【チューリップ】■■■■■ Tulip(英)Tulipe(仏)Tulipa(羅) 花はチューリップです。和名は鬱金香(うこんこう)。 ご存知でしょうか…チューリップの凄い、シンボリックな呼び名を……。 「天上の甘露をうけとめる杯(さかずき)」 トルコの詩人の言葉だそうです。 これだけで頭を抱えてしまいますが、西欧に置いてチューリップは言うまでもなく特別な花でした。 チューリップ狂時代、と呼ばれた一時代を築いた花です。 チューリップは球根で育つ花なので、遠くまで運ぶことが可能な上、どんな場所でもその球根の力で一度は美しく咲くことの出来る花です。(でも次の年に美しく咲かせるのは難しいです) ウイルスに罹った奇形のチューリップなども、非常に珍しいとして珍重されました。 オスマントルコの時代より、裕福な者たちが好んでチューリップを愛で、大金の動いた花です。 日本に入ってきたのは大正時代。 チューリップは太陽が大好きな花です。 太陽から遠ざかると枯れてしまうとして「神の愛」「天上の花」とされました。また、上記のような歴史から、「世俗の財産」「儚さ、脆さ」の象徴としてもよく用いられます。 静物画でも好んで描かれたチューリップですが、このような複雑な意味を込めて、描かれていたのですね。 ■■■■■「我思う故に我在り」■■■■■ ego cogito, ergo sum(羅) 最後に、アーチに描いたラテン語の解説をします。 フォントはケルズの書を参考にしました。 ルネ・デカルト(フランス 1596-1650)の大変有名な言葉です。 デカルトはフランス生まれの哲学者であり数学者。 ego cogito, ergo sum (エゴ コーギトー、エルゴー スム) 有名な表現はCogito ergo sumの方ですが、デカルト自身がラテン語で書いた『哲学原理』に出てくる表現の方を選びました。 ラテン語としては、Cogito ergo sumで正しく「我思うゆえに我あり」は成り立ちます。 (Cogito:私とつけなくても私という一人称でしか使わないのでこれだけで、我思う、となる)(ergo:ゆえに)(sum:同じく一人称単数でしか使わないので、この単語だけで我在りとなる)此処に主語のego:我を足すと、意味としてはもっと自分、という存在が強調されることになります 自分も含めたこの世界のすべてが本当は存在しないとしても、存在しないのではないだろうかと疑っている自分自身の存在だけは疑いようがない。 というような意味だと理解しています。コギト命題とも言われる哲学課題です。 この言葉とセットでいつも思い出すのが、シュレディンガーの猫。 「箱を開けてみるまで、猫が生きているかどうかは分からない」 共に、観測者である「我」の存在を強く訴えかけてきます。 世界は観測者によって成立する。 この言葉は同時に、どちらも、世界という存在の脆弱さも伝えてきます。 世界は、すべて、見ている人間の目が形成しています。 あなたの世界は、あなたにしか見えない。 私の世界は、私にしか見えない。 あなたの世界と私の世界は、決して同じものではない。 私達の思う世界が本当にあるかどうかは、私という点なくしては説明できない。 あなたも、私も、それぞれの世界のたった一つの存在証明なのです。 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 以上、書き、切った……!! (肩がこりました) キーワードは不死、復活、神の愛、といったところ。 ちょっぴりFGOや刀剣乱舞を意識しています。